| 南京路の飯店で、元留学生の家族から歓待される。ここで蛇料理を食べさせられる |
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上海空港に着くと現地の旅行会社のガイドが迎えにきていた。翌日は事前に決められたプランどおり、ホテルから市内観光、さらに蘇州への小旅行だった。ガイドは上海大学日本学科の学生だといい、ことのほか親切で、期待どおり母の歩行ペースに合わせてくれた。見学した先はわずかだったが、義母は夢にまでみた寒山寺に行けたと満足顔であった。
3日日の朝、打ち合わせどおり、兄妹が私たちの滞在するホテルまでやってきた。再会を喜びあった。私たち3人がツアー観光でまだ見ぬ先を案内してくれた。楊浦・南浦大橋を渡り、88階の高層ビルの最上階に上った。広大な遠望を愉しむ一方で、兄妹がそれぞれ上海の千百年の歴史を教えてくれた。ところが、展望台は一部工事中で、コンクリートの削り音がひどく、満足に聞き取れないこともあった。通路には器材が山積みで、観光客よりも工事が優先される、という日本ではちょっと考えられない光景だった。
玉仏寺にも案内してくれた。ルビーで造られた艶やかな仏像が私の目を惹いた。それ以上に、本堂まえで合掌する兄妹の背筋は、きりっと一本通っていた。真に仏教徒なんだな、と感慨をおぼえた。少なくとも、私のように賽銭を投げ込み、ただ身勝手な願い事をする、中途半端な態度の人間とはちがう。
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外灘 (バンド)の夕暮は小雨で濡れていた。周辺の道路には大勢の中国人が行き交う。多くが雨合羽姿で自転車に乗る。日本のように片手で傘を差し、もう一方でハンドルをもつものは一人もいない。生活様式のちがいというよりも、そうした乗り方は禁じられているらしい。
「私たちの家族が待っています。さあ、飯店に行きましょう」
案内された場所は、朱塗の華美な飲食店が両側にならぶ南京路だった。そのなかでも一、二の有名な店だとおしえられた。3階の個室で、両親とか、兄嫁とか、2歳半児とか、それぞれの家族紹介が行われた。
兄のほうは乳幼児をもちながらも日本に留学していたのか。勉学熱心な態度にはおどろかされた。嫁の働きと、両親の仕送りに支えられていたから、それらに応えるためにも、卒業まで日本の大学で頑張りたかったと残念がる。私は兄妹の旺盛な向学心に敬服する一方で、兄妹の志が頓挫する、日本の留学生の受入れ体制に強い疑問をおぼえた。
最近の日本国内の報道をみると、密入国とか、不法滞在とか、凶悪犯罪とか、中国のイメージが悪化する傾向にある。しかし、こうした兄妹に接し、一律に民族や人種を見てはいけないのだ、どこまでも個人を見つめるべきだと再認識させられた。
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