古い話で恐縮だが、1965年の夏、ある芸術機関の招聘で、旧ソ連、東欧数カ国を旅行した。
名目は、青年文化交流会。ナホトカから先はアゴ・アシつきだ。
一行5名、絵描きや音楽家、文学者、皆我が儘で勝手で理屈っぽい。
英語は通用しない。行く国々で日本語の通訳が付くが、これが甚だ心もとない。40年も前だ。
プラハでのこと。
朝早くから、おきまりの観光を済ませ、夕刻早い時間から、20人余りの小さな歓迎会に臨んだ。どの国でもそうだが、乾杯乾杯の繰り返しだ。乾杯のタネは明日の天気でも何でもいい。
席の前には数個のグラスが林立して、赤白ワイン、ウォッカ、コニャックなどに自慢の地酒が加わる。これは脅威である。
私は生まれつき酒が飲めない。隣席の通訳氏が梅酒のようなものだとしきりに地酒を薦める。ならばいざ試さんと一口、いやいやこれが甘美。つられて二口、三口。
宴たけなわなれど、次なる場所へ。国民劇場で前衛バレエ鑑賞。
席はロイヤルボックス。ロシアバレエのリアリズムに、チェコは如何なる形で抵抗するか興味津々である。
開幕寸前。いけない、気分が悪くなって吐き気さえする。ロビーで休もう、4、5メートル先の、優雅なロココ調の椅子に近づくと、椅子は天井高く舞い上がり、大きな円を描いて回りだした。
気が付くと、診療ベッドの上にいる。傍らには、体格のいい女医さんと看護士さん。ここは何処だ。時計を見ると、倒れてから10分も経ってない。察するに、劇場の医務室か。もう正常に戻ったと思い、起き上がろうとすると、女医さんが、胸を押さえて寝かせ付ける。
私はOKと言い、女医さんは、Ne(NO)の繰り返しである。こうなれば諦めて眠るしかない。
3時間で終演。結局一場も見られずに解放されて、劇場をでると白夜のよう。
「白けるなあー」
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