たびっと倶楽部の旅ふれあいマガジン
27号H15.12.1発刊
 

あこがれの南極大陸へ
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神秘の輝き、幻想的なショーは宇宙からの贈り物
世界の素晴らしき山々


旅慣れた男の一人旅に「割勘詐欺」

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神々の地、祈りの風
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第6回ハービス旅大賞受賞作品 佳作
神々の地、祈りの風
「チャンタン高原の夕暮れ」日没は午後8時。家畜と共に家路につく遊牧民

1

 ヤクの鳴き声で目が覚めた。遠くでかすかに、犬の遠吠えが聞こえる。枕元の懐中電灯に手を伸ばし、腕時計を照らすと、2時を少し回ったところだった。
 ひどい頭痛と吐き気に、身の置き所がない。深く深呼吸してみる。時々こうやって、なんとか酸素を全身に行き渡らせようと試みるが、果たしてそれが効いているのか。時々、チラホラと、弱気な考えが浮かんでは消える。
 寝袋ごと身体を起こしてみた。手探りで、足元の携帯用酸素ボンベを探ってみる。真っ暗なテントの中では、なかなか手に当たらない。やっとのことで缶をつかみ、口元にもってくると、吸い口がコロンと転がってしまった。それは、暗闇の中で白く浮かび上がっている。手を伸ばしてみたが、届かない。身体をもう少し折り曲げれば届きそうな距離だが、身体がいうことをきかない。高山病になると、動くこと自体が億劫になるようだった。
 私は小さく溜め息をつき、缶を放り投げた。そして、また横になるしかなかった。

「チベットに、幻のテントの寺を探しに行く」。これが、今回の旅の目的だった。ランクル3台に、食料品や荷物と共に乗り込み、ラサを出発した。そして、2日がかりで、ここチャンタン高原に辿り着いたのは、一昨日のことだ。標高4800m、遊牧民のテントがポツンと1つあるだけの場所、そんな所に、私たちはテントを張ったのだった。そして、
「もう、だめだ」
そう言って、何人かは昨日ラサへ戻って行った。日程が限られていたため、無理に高度を上げたのが災いしたらしい。地元のチベット人を除いて、ほとんど全員に高山病の症状が現れていた。結局、残った日本人は、7人中3人だけだった。
 皆は、ラサにもう着いただろうか。そんな事を考えながら、長い夜が過ぎていった。
 翌朝目覚めると、不思議と身体が軽い。テントの外へ出ようとすると、真夏だというのに、テントのジッパーが凍っていた。
 外からお湯をかけてもらい、外に出た。まだ、ほんのり薄暗さが残ってはいたが、ちょうど遠い雪山の間から、太陽が昇りきったところだった。高原を、力強くゆっくりとオレンジ色に染めていく。果てしなく広がる高原を360度見渡すと、昨日までの憂鬱な気分は、ウソのようだった。
 
 
「若き修行僧たち」カメラを向けると、恥ずかしがって横を向いてしまう

「おはよ、ごじゃいます」
覚えたての日本語で、トンジュが笑いかけてきた。彼は、チベット人運転手。車のボンネットを開けて、顔がくっつきそうなくらいに中を覗き込んでいる。いつも被っている真っ赤なキャップが、ずり落ちそうだ。
 中国人のウリが、朝食のテーブルとイスを並べていた。彼は私の友人でもあり、今回の旅では、ガイド役をかって出てくれていた。彼が含み笑いをしてこちらにやって来た。
「ノリコ、今日はお寺見つかるかな」
ニヤニヤしている。
「きっと、見つかるよ」
少しムキになって横を向いた。
 遥か彼方に、ヤクの群れを連れた遊牧民が見える。ゆったりとした時が流れていた。
「さあ、行きますか」
西瓜とパンの簡単な朝食が済むと、ウリの掛け声で、車に乗り込んだ。
 そこら中穴だらけの悪路を、上下に跳ねながら進む。途中、野ウサギが穴の中から顔を出したり、引っ込めたり。めったに通らないであろう、車に驚いたように、巣から飛び出しては、また隣の穴へ移る。
「しかし、ホントにあるのかね」
父島に住む安部さんが、助手席で頭を振り振り言った。頭痛がかなりひどいようだ。
「うーん。行くしかないでしょう」
相変わらず佐々木先生はのん気に構えている。2人は共に60歳を過ぎている。高山病に悩まされながらも、強い精神力でこの旅を乗り切っている、タフな人たちだった。

 それにしても、今日こそは、寺に辿り着けるのだろうか。ここに来るまで、テントの寺に関する情報はほとんどなかった。佐々木先生が、唯一中国の文献に載っているというコピーを持っているだけだ。それも、たった2〜3行ほどの。最寄りの町、アムドの老人たちに聞いても、聞いたことはあるが、実際には見たことがないと言い、本当に辿り着けるか、皆、半信半疑だった。
 アムドから草原に入ってからは、うっすらとした車の轍だけを頼りに、ここまできたのだ。
 車は、何度か川を渡りながら進む。浅いであろうと思われた川も、実際に車で進むと、結構深かった。増水していたらどうなっていただろうかと、渡りきるたびにホッとする。
 2時間ほど走っただろうか。ふと、気がつくと、今まで遊牧民のテントがぽつんぽつんとあるだけだった高原の遥か向こうに、うっすらと、集落のようなものが見えてきた。まるで、蜃気楼のようだ。
「あれがそうでしょうか」
ぬかるみにはまった車を押しながら、そうであって欲しいと聞く。しかし、誰にも確証はない。
「多分、あそこでしょう」
彼方の集落を見つめる、ウリの眼が細くなる。何本かの煙も上がっているようだ。車を走らせ、それが確かに集落だとわかると、思わず気持ちが逸る。
 しばらく行くと、だんだんその蜃気楼が現実のものとなり、ついに、その集落に辿り着いた。
 私たちの車が止まると、たくさんの僧侶たちがどこからともなく集まって来た。一斉に、エンジ色の袈裟に囲まれてしまう。ここに間違いない。
 交渉の間、遠巻きに、こちらをチラチラと見ていた僧侶たちは、男同士肩を組んで、なんだか恥ずかしそうだ。

 
 
「お引越し」法要に合わせて、集まって来た遊牧民たち。荷物運びを、けなげに手伝っていた少女


「テント寺院内部」読経をする場所。まるで、抜け殻のようだ

 明後日、寺で大きな法要があるらしく、周辺には、多くの遊牧民が集まってきていて、テントが張られている最中だった。ある者は馬に乗り、ある者は家畜を引き連れ、一家総出で移動してきていた。3〜4歳の子供までが、はりきって荷物運びを手伝っている。その姿が、なんとも微笑ましい。
 寺院は、箱型の小さなコンクリートの建物がひとつと、その後ろに、15m四方くらいの、柱が8つあるテントの寺院がひとつ。その回りには、彼らが寝起きする、レンガで造られた部屋が点在している。
 この寺は、チベットでも最大の宗派、最も戒律の厳しいゲルク派であり、ここを訪れた日本人は、私たちが初めてのようであった。
 交渉も成立し、寺の内部に案内してもらうことになった。テントの中に入ると、内部は外の光が白布越しに射し込み、思っていた以上に明るい。中央には、彼らが毎朝、まだ冷え込む時分から読経しているであろう、身体に巻く毛布が、丸く人が抜け出た形そのままに並んでいた。そう言えば、彼らは、8月だというのに、フェルトと毛でできたブーツを履いている。この辺りの冬の厳しさが、容易に想像できた。
「ここで、お経を読むのね?」
ぞろぞろと、大勢の僧侶たちを後ろに従えて、身振りで聞いてみる。2〜3人が黙って頷く。なんでも質問してくれ、と言わんばかりの顔だ。
 一番奥に3m四方ほどの祠があった。中は真っ暗だ。中央のバター灯、チューメがかろうじてほのかな光を放ち、暗闇の中で揺れている。異次元に入り込んでしまったかのような空間だ。入ってすぐの所で4人が向かい合って座り、お経を唱えていた。私たちに気がつくと、読経をやめ、にこやかに迎え入れてくれる。

 突然の訪問に恐縮しながら、私は帽子を脱ぎ、中へ入って良いかと眼で尋ねた。皆が黙って頷く。4人の脇をすり抜けて奥へ行くと、きらびやかな祭壇があった。その中央に、小さな仏像が見える。
「これが、この寺で一番大事なご本尊だそうです」
後ろから、トンジュの声がした。
 通訳をラサへ戻してしまった今、私たちの中で、チベット語が話せるのはトンジュだけだ。彼が通訳となって僧侶から話を聞く。そして、中国語で教えてくれていた。
 彼は、仏像の前に出ると、合わせた手を頭・口・胸と順に下ろしていき、一礼した。そして、ポケットから財布を出し、紙幣をご本尊の前に置いた。
 そう言えば、途中寄ってきた小さな寺でも、彼は、常にお布施を置いていたような気がする。佐々木先生が、彼らはこうやって運転手として仕事をしていても、稼いだ分を寺に寄るたびにお布施してしまって、大丈夫なのかね、と言っていたのを思い出した。
「お寺に寄るたびに、そうやってお金を出していたら大変じゃない?」
心配して聞くと、
「いいえ、そんなことはありません」
彼は、はにかみながら答えた。
「私たちチベット人は、祈りは日常です。私たちにとって、生きることは祈ることなのです」
微笑みながら続ける。
「それに、田舎の小さなお寺では、政府の援助なしで、お布施だけやっているところもあると聞いています」
「ふうん」
彼の純粋な顔を見て、なんだかいたたまれなくなった。

 
 
「念青唐古拉峰」万年雪に覆われた7115mの輝き

 私は、神社へ行っても賽銭は入れない。ましてや、柏手を打って頭を垂れるなどということはしない。3年ほど前から、一切そういうことはしなくなった。亡くなった家族の供養のため、墓参りに行くことはあっても、チベット人のように、輪廻転生などを信じている訳でもなければ、神も信じてはいない。祈る事で幸せがやって来るなんて、思えなかった。
 ふと気がつくと、4人の僧侶が、再び読経を始めていた。
 周りを見渡すと、壁全体が棚になっていて、すべてに小さな引出がついている。何が入っているのか聞いてみると、その中には、経本がびっしり詰まっているという。
「これ全部読むの?」
「もちろん、そうでしょう」
「ひたすらずっと? 毎日?」
トンジュは苦笑している。
 私たちのやりとりを、まだ若い僧たちが、笑みを浮かべながら見守っている。暗闇の中で、目だけがキラキラと輝いていた。
 まだ、10代か20代前半であろうと思われる若い僧たちは、皆いい表情をしていた。彼らは、小さい頃に出家し、親とも離れ、こんな過酷な自然環境の中で毎日修行し、生活している。そんな中でも、彼らは満足そうな顔をしていた。日々に満足している、そう思えた。祈りがそうさせているのか。信仰に生きる民族。改めて、そう感じさせられる。
 果たして今、この暗闇の中で、私の眼はそんな輝きを放っているだろうか。いや、どんよりと曇っているに違いなかった。
 私は、ご本尊の小さな仏像を、そして、僧侶達の顔をしばらく眺めていた。

 レンガでできた小さな建物に移動すると、そこは、お茶を飲み寛ぐ、居間のような部屋だった。
 そこで、バター茶を頂いた。ヤクのバターの香りが、ぷうんと立ち昇る。一口啜ると、濃厚な味が口の中に広がった。そのお茶は、今まで飲んだ、どのバター茶よりもしみじみとしておいしかった。
 お茶を飲みながら聞いた話によると、このテントの寺院も、以前は80本もの柱をもつ、大きなテントだったそうだ。僧侶も今では40数人しかいないが、全盛の頃には200人もいたらしい。まだ、あどけない顔をした少年僧が、バター茶を次から次へと注ぎ足してくれる。
「トゥジエチェ」
ありがとう。もうお腹がいっぱいだと言うと、ちょっぴり寂しそうな顔をする。皆、素朴で温かかった。その温かさに、思わず目頭が熱くなる。
 時間はあっという間に過ぎ、出発の時間になった。私は、車に自分のリュックを取りに行き、もう一度テントの中へ戻った。お経を読む4人以外は誰もいない。私は財布から紙幣を取り出し、ご本尊の前に置いた。そして、手を合わせ、祈った。ここの人たち、皆の幸せを。そして、この豊かな文化が、ずっと失われることのないよう。
 きっと二度と訪れないであろう寺、二度と会うことはないであろう人たちに別れを告げ、その場を後にした。空は快晴。雲に手が届きそうに近い。
 車は青蔵公路に出て、さらに南下。神々しい輝きを放つ、7115mの、ニンチェンタンラ峰を右に見ながら進む。
 途中、雪が積もる峠を、五体投地しながら行く人に出会った。もう、何日も続けているのだろうか。顔は漆黒に焼け、衣服はボロボロに擦り切れていた。彼はラサまで行くのだろうか。ラサまではまだ、400kmと少し。

 
■著者プロフィール 1969年生まれ、静岡県在住。無職