Tabit たびっと倶楽部の旅ふれあいマガジン
28号H16.3.1発刊
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地球の旅人
福建省永定の客家土楼巡り
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地球の旅人 福建省永定の客家土楼巡り
中国南西部、福建・広東両省の省境近くの山間地。連綿と続く緑濃い丘陵を背にして、畑地の中あるいは谷間の清流沿いに、茶褐色の奇妙な建築物が建ち並ぶ。“中国のユダヤ人”ともいわれる客家人たち独特の集合住宅「囲屋(土楼)」である。そのいくつかを訪ねてみた――。
旅の案内人 安西 保プロフィール●安西 保
1934年東京生まれ。出版社の編集者、広告代理店のコピーライターなどを経て、1969年に安西編集事務所を設立、多くの旅行ガイドブックの企画編集を手がける。とくに香港・中国・台湾など東アジア地域の観光事情に精通し、著作も多数ある。日本旅行作家協会理事、日中文化交流協会、日本香港協会会員。
 
 
山間部に大小の円形・方形の土楼が散在する永定県高頭郷
土楼内住民はつねに共同作業で助け合う
巨大土楼の内部は祖堂を中心に同心円状に建物が囲む
(承啓楼)

福建省南部、海辺のリゾート地として知られる廈門(アモイ)市から西へ約三八〇キロ、車で四時間半かけて永定県(日本でいう町)に向かう。途中の漳州市までの快適な高速公路から一般道に下りると、一面バナナ畑の中の道。青いバナナの大房を荷台いっぱいに積んだトラックがひっきりなしに行き交う。永定の小さな町並みから細い田舎道に入り、山間の未舗装路を縫うように登り下りを繰り返す。やがて南斜面の段々畑や小さな水田が広がる田園風景の中に入ると、道路沿いに茶褐色の囲屋(土楼)が見えはじめた。円形、正方形、長方形と形・大きさはさまざまだが、それらはあたかも地中から生えた巨大な茸のようだ。
一帯に二三〇〇もある土楼のうち、事前に「観光用ではなく、今も居住者のいる土楼を見たい」と永定県人民政府に依頼しておいたので、
最初に案内されたのは永定県高頭郷(村)の
最古・最大の円形土楼「承啓楼」だった。
小高い丘を背に南面して屹立する「承啓楼」の、仰ぎ見るほどの壮大さにまず圧倒された。“中国民居”の一つとして中国の切手の図案モデルにもなったこの土楼は、清朝初期の康煕四八年(一七〇九年)建築で、塀はなく、建物の全高約一八・五メートル、直径約七四メートル。外壁は上層部にのみ小さな窓が穿たれ、下層には南に大門、東西に中門が一つずつあるだけ。その厚さは底部で一・五メートル、最頂部でも〇・九メートルと重厚なもの。自然の赤土に砂、石灰、糯米の煮汁、黒砂糖、卵白などをまぜて突き固め、徐々に積み上げて造った版築工法で、固まるとコンクリートを凌ぐ硬度と強靱さを帯びるとか。
地震や火災、風雨はもちろん、外敵の侵攻にも強固な要塞となり、ヒビ割れが起きても自然に元にもどるという。最頂部に黒瓦を載せた外壁
世界遺産指定を前に「永定民族村」のアーチも完成
内側には、鉄釘や鋼材などをいっさい使わず木組みだけの木造(主に杉材)で四層建ての房室(個室)が壁沿いに造られ、内側に走廊(廊下)を巡らせている。各層に七二室、計二八八室という巨大集合住宅で、すべて一階は台所兼居間、二階は食料倉庫、三〜四階は採光・通風がよいので寝室となっており、各層へは東西南北四箇所の階段で登り下りする。

大門前では住民相手に食料品を売る近隣農民も


円の中心には一族の祖堂を置き、外壁との間にはさらに二層の石造り建物が同心円状に三重に取り囲む。ここには風呂場、トイレ、家畜小屋などもあり、井戸も楼内に三箇所ある。祖堂の扉・衝立て、
土楼内で手づくりの記念品を売る母子
(左)中央の祖堂には一族の祖先霊を祀り、終日、香が絶えない
(右)土楼内の石畳の床も長い歳月を感じさせる
また各房室入口や鴨居にもみごとな木彫が見られる。こうした土楼は立地・方位・房室などすべて風水、陰陽術に基いて決められ、室数も偶数を吉とする。
現楼主の江存忠氏は二五代目で、「円楼は冬暖かく夏涼しいので、住環境は最高です」と胸を張る。住民はみな「江」姓一族で、現在五四家族三八四人が暮らす。江氏は「承啓楼」の巨大さを語る次のような昔話を聞かせてくれた。
 ――ある村の結婚披露宴で、同じテーブルに座った二人の若い女性が、食事のときに互いに自分の住む土楼の大きさを自慢しあった。一人が「私のところは四階建てで四重の円楼でできており、全部で四〇〇室もあるの。大きいでしょう」と言うと、もう一人が「私の楼は城のように大きく、住んで三年になるけれど、まだ土楼の住人全員の名前と顔がわからないほどよ」と言い返した。最後に互いに相手の住む楼の名を聞くと、二人とも「承啓楼」に住んでいるとわかって大笑いしたという。一人はまだ結婚前の娘で、もう一人は三年前によそから嫁いできた新妻で、それぞれ楼の東側と西側に住んでいたので面識がなかったのである――。
 翌日は、山を一つ越えた湖坑郷の「振成楼」へ。一八世紀初頭創建、民国元年(一九一二年)に大改修したという土楼で、規模は「承啓楼」とほぼ同じだが、外観・内部ともずっと優美な円楼だ。

外壁沿いの住居部分はやはり木造四層建てで、各層四八室、計一九二室だが、来客用に造ったという内側の二層の円楼は白壁塗りで、走廊にヨーロッパ風デザインの鉄製欄干が使われていた。中央正面の祖堂はしょう洒な舞台造りで、前面は一族の冠婚葬祭や賓客の接待などに使用する広い石敷きの中庭としている。ここには現在も林氏一族十数家族が住むが、専ら外国からの見学用に開放しているそうで、一隅に飲みもの、絵はがきなどを並べた売店や、たばこ加工工場もあり、土楼前の広場では村人による歓迎の蛇踊りも行なわれていた。
 近くには直径一八メートル、永定県最小の円形「如昇楼」や、村の集会所として利用されている方形の「福裕楼」もあるので見学させてもらうとよいだろう。客家人は、なぜこうした巨大な土楼を築いたのだろうか――。
彼らはもと中原地方(黄河流域)に住んだ漢民族の一部で、四世紀ごろから北方民族の侵攻を逃がれて南下し、九世紀ごろには長江(揚子江)を越えて江西、福建、広東など各省に住みついた。各地の原住民はこの移住者たちを「客家」(よそ者)と呼んだが、永定の客家人もその一部である。
客家人の多くは山間の僻地で幾多の艱難に耐えながら荒地を拓き、山野の木・土・石塊などを利用して住居を構えたが、その後も長い間続いた迫害・抗争に、自らの生命・財産を守るより堅牢な住居を必要とし、幾つかの家族が集合した共同家屋を造るようになり、次第に巨大な土楼が築かれるようになったのである。当初は方形や角形が多かったが、少ない敷地面積で日照・通風にもすぐれ、外部からの襲撃にも死角がなく守りやすい円形が、のちに主流となったという。こうして構築された土楼は、彼らにとって単に住居として雨露をしのぎ、外敵の侵攻を防ぐという役目を果たしただけでなく、共同生活を通じて客家人としての共通の生活様式、風俗習慣、信仰と理念を育んだことで、強い団結力を誇る現代の独特な客家人社会をつくったともいわれている。
この永定土楼群は、現在ユネスコの世界遺産登録指定を申請中という。観光開発にかける情熱もわからないではないが、でき得ればその静かなたたずまいと神秘さだけは、いつまでも失わないでいてほしい。
前庭で歓迎の蛇踊りを披露する村民たち(振成楼)



客家の婚礼は一族で決める〈嫁とり婚〉が主(福裕楼)