Tabit たびっと倶楽部の旅ふれあいマガジン
30号H16.9.1発刊
Tabit30号  
地球の旅日人
メキシコの世界遺産
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地球の旅人 メキシコの世界遺産
メキシコは、中南米屈指の古代遺跡の宝庫である。
メキシコ・シティのソカロ周辺には十三世紀に栄えたアステカ文明の遺跡が、
東のユカタン半島には、紀元前二世紀に端を発し、四〜七世紀に最盛期を
迎えたマヤ文明の遺跡群がある。
メキシコ世界遺産めぐりの旅は、先住民族の伝統文化とスペインとの融合文化に触れながら、彩り豊かなメキシコを探す旅でもあった。
旅の案内人
木 美千子
プロフィール●木 美千子
エッセイスト。日本旅行作家協会・日本旅のペンクラブ会員。東京港区生まれの江戸っ子だが、今年で関西生活30周年を迎える。大阪を拠点に日本各地の歴史街道をウォーキング、歩く視点での旅を執筆中。また世界各地の世界遺産めぐりの旅も回を重ねた。
おもな著書に『関西・歴史の道を歩く』『大阪再発見の旅』がある。
 
 
テオティクカン、太陽のピラミッドの奥にそびえる月のピラミッド
テオティクカン、太陽のピラミッドの奥にそびえる月のピラミッド
メキシコ・シティの中心ソカロから 
関空を飛び立ってアメリカ・ダラスまで約十一時間、さらに長いトランジットの後、ダラスから約三時間四十分でメキシコ・シティ国際空港に到着した。 首都メキシコ・シティは海抜二二四〇メートルの高原都市、日中の気温が二四〜二五度、朝晩は一二〜一三度と気温の差が激しい。面積は一四九九平方キロというから東京の約七〇パーセントか。
ユカタン半島に残るマヤ族の住む家
ユカタン半島に残るマヤ族の住む家

カテドラル(大聖堂)のあるソカロ周辺
カテドラル(大聖堂)のあるソカロ周辺
そこに約二〇〇〇万人の人々が暮らす超過密都市である。ちなみにメキシコは三一の州とメキシコ・シティからなり、日本の五・三倍の国土、人口は約一億人である。メキシコ・シティは、かつてアステカ帝国の都テノチティトランの巨大な祭祀センターのあったところだ。十四世紀半ばアステカがまだ貧しい流浪の民族であった頃「鷲がサボテンの上にとまって、蛇を食べているところに神殿を…」との神のお告げにより造られた。ところがスペインの征服者たちは林立する祭祀センターを破壊し尽くし、その廃墟上に新しい都市を築いてしまったのである。
ディエゴ・リベラの壁画『階級闘争』  
メキシコの主食トルティーリャを焼く女性
ディエゴ・リベラの壁画『階級闘争』
メキシコの主食トルティーリャを焼く女性

世界的にも最大級といわれる大聖堂、カテドラルの中に入る。一五七三年から二四〇年というあまりにも長い歳月をかけて建てられたその建築にはバロックあり、ゴシックあり、ルネッサンスあり、さながら古典建築様式の見本市のようだ。一七三六年設置の大きなパイプオルガン、もうひとつ印象に残ったのはメキシコ最初の牧師サン・フェリペ・デ・ヘススの像である。彼は一五九七年秀吉のキリシタン禁令下の長崎で処刑された宣教師のひとりだという。
 中央政庁では、何世紀にもわたるメキシコの歴史を描いたディエゴ・リベラの壁画と出合い、その後、銅像や記念碑が建ち並ぶ大通りレフォルマを車で通過した。
 ソカロでは石畳を踏みしめて、古くからの土着インディオ文化とスペインからの外来文化が火花を散らし、融合してでき上がった近代メキシコ文化の基盤を実感する。
 近くには、埋没しているもうひとつの都市が発掘されはじめた場所があり、アステカ時代の遺跡として観光名所のひとつになっていた。
 
多くの神のなかでも特に信仰を集めた水と農耕の神ケツァルコアトル(羽毛の生えたヘビ)(右中央)。月のピラミッド(左)は高さ四二メートル、底辺一三〇メートル×一五〇メートル   多くの神のなかでも特に信仰を集めた水と農耕の神ケツァルコアトル(羽毛の生えたヘビ)(右中央)。月のピラミッド(左)は高さ四二メートル、底辺一三〇メートル×一五〇メートル

モダンな洋館は現代風の西湖の姿だ

装飾の美しさが際立つケツァルコアトルの神殿
装飾の美しさが際立つケツァルコアトルの神殿

テオティワカンの古代都市

窓外の山に広がる低所得者層の住宅を眺めて、この町に暮らす人々の生活を思い、やがて草原に大きなウチワサボテンやトウモロコシ畑が現れて、
メキシコ・シティから北東へ約六〇キロ、いよいよマヤ文明の遺跡を代表するテオティワカンだ。紀元前二世紀頃に誕生し、
 紀元七世紀半ばに忽然と歴史の表舞台から姿を消した古代都市のピラミッドを目の前にして興奮した。
「あれが太陽のピラミッドね」
「あっ、向こうが月のピラミッド、両方に登るんですか」期待とともに、標高二〇〇〇メートルの地で息切れしないかと不安がよぎる。ところが太陽のピラミッドはつい最近になって二段目までしか登ってはいけないことになったという。
 テオティワカンが建設されたのは、紀元前二世紀頃からという。それ以後、この都市には、北の端の月のピラミッドをはじめ、多くの大規模な神殿が築かれ、紀元七世紀に衰退するまでさまざまな神が祀られてきた。
 中央を幅四メートル、長さ約五キロメートルの死者の道が南北に貫き、その周辺には六〇〇近いピラミッドや宮殿、住居、黒曜石加工所などが整然と建ち並んでいたのだ。

建造物のすべては八三センチの倍数になるように統一され、貯水池や下水道も整っていたという。最盛期の紀元三五〇〜六五〇年頃には、面積が平安京にほぼ近い約二三・五平方キロメートルまで拡大し、人口は一五万人に達したとか。 テオティワカンが滅亡して約七〇〇年後、廃墟となったこの地を発見したのはメキシコ一帯を支配したアステカ人だった。彼らによって、神々の集う場所という意味のテオティワカンと名付けられる。
 とはいえ、これを築いた民族については、わずかに残る碑文の文字が解読されていないため、いまだ不明なのである。
壁面に描かれた体長二メートルのジャガーと思われる動物
壁面に描かれた体長二メートルの
ジャガーと思われる動物

古代サポテコの祭祀センター、モンテ・アルバン遺跡
古代サポテコの祭祀センター、モンテ・アルバン遺跡
アステカ・マヤの遺跡めぐりの旅では、五つの世界文化遺産の遺跡と一つの遺跡公園、二つの博物館に足を運んだ。テオティワカン(テオティワカン)モンテ・アルバン(オアハカ)パレンケ(パレンケ)ウシュマル(メリダ)チチェン・イツァ(メリダ)そしてラベンタ遺跡公園(ビジャエルモサ)と国立人類学博物館(メキシコ・シティ)人類学地方博物館(ビジャエルモサ)である。
 メキシコは古代文明が華麗に花開いたところだ。そしてエジプトのピラミッドが墳墓であるのに対し、こちらのピラミッドは祭祀(セレモニー)の場所である。雨の神チャックに代表されるように水と豊穣のためにさまざまなセレモニーが行われた。緻密な計画に基づいた古代都市、独自の文字や天体観測、太陽暦など、十六世紀はじめにスペイン人がメキシコにやってくるはるか以前から、高度な文化をもった先住民がいたことへの驚きと感動、と同時にいまだ解明されない謎の世界へと引き込まれる。
よい保存状態で発見されたパレンケ遺跡(右・左とも)  
よい保存状態で発見されたパレンケ遺跡(右・左とも)
よい保存状態で発見されたパレンケ遺跡(右・左とも)