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地方の都市の繁華街を歩いている時、ふとここでつぶてを投げたらどのくらいの確率で転勤族か、その家族に当たるかな? と思うことがある。雑踏で耳を澄ませて歩いていると、三割はいくのじゃないかな? なんて。そう思うのは私が結婚してから三十年で六つの大都市に住み、三つの都市に通い続けるという生活をしてきたからだろうか。新しい町に行った直後には、そう思うことで仲間がいっぱい居ると思いたいのかもしれない。 京都の四条通などを歩きながら、京都言葉に耳を澄ませている合間に入ってくる様々な言葉は、ほとんどは観光客のものだろうが、転勤者もかなり居るはずだ。それぞれに特徴のある都市の雑踏で耳に入ってくるお国言葉を聴くのはとても旅人気分をそそられる。それは海外旅行をして、理解不能な言葉のリズムに身を任せている時のエトランゼ気分に勝るとも劣らない。海外なら誰でもおかしな体験をすることはあるだろうが、国内だってなかなか捨てたものじゃない。 |
中でも京都は立派にそれだけで一つの国だと言ってもいいんじゃないかと思う。烏丸通りを歩いていて、京都弁で「○○行くにはこの道でよろしいのやろか?」と尋ねられて、まず土地の人以外は知らないだろうと思われる建物へ案内してあげた時に「奥さん偉いなぁ。きちんと標準語話しはって。子供におかあちゃんの言葉ひどすぎるいわれますねん。八坂さんの裏で育ちましたよって、標準語は私には難しいのやわぁ。勉強しはったんやろなぁ」確かこんな感じで言われたことがある。八坂さんなら直ぐそこなのに、この場所を知らないなんて…! と。でも一年も住まないうちに京都の人が自分の町を知らないのに本当に驚いてしまった。 「せっかく宝の山に住んでいるのに!」 だが、考えてみれば、住んでいるということはこういうことかもしれない。私も自分の生まれ育った街のいったいどのくらいを知っているというのか。京都は観光地だから知らないはずは無いという思い込みがこちらに先にあっただけで、振り返って |
| 見ればここに来るまでも色々な土地でこんなにいいところがあるのに土地の人が知らないなんてと思ったことは一度や二度ではなかったはずだ。普通自分の生まれた町の観光雑誌など買わない。転勤族の妻である私は数年しか暮らせない町だと思うと、知らないで終わってしまうのはもったいなくて、また実際知らないと困ることも多いので、新しい町に移動する度にその町を早く知ろうと必死になる。観光とはあまり縁のないと言ってもいい町でさえそうなのだから、京都みたいに観光に是非行きたいと思うような町などはなおさらだ。まず、地図をしっかり頭に入れる。どこに何があるか、そしてそこにはどんな行事があるか、いわばその土地の歳時記の達人を目指すわけだ。友達が出来るまではそれだけで新しく住みついた町に根を一本下ろした気分になれる。友達が出来てしまえば鬼に金棒、できなくったってこれでなんとか心細さは和らぐ!エトランゼ気分も薄まるのが難点だけど。 | 京でのある日、通っていたプールで知り合いになった奥さんたちに(皆京都生まれの京都育ち)「昨日赤山禅院まで家から歩いてみたのよ」と言ったら、「ようそんなつまらないとこへ!」とか「紅葉の時やったらまだ分かるけど…」ならまだしも、「どこなん?」と言う反応まであってやっぱり!「途中詩仙堂や曼殊院はあるし十二段家さんも見つけたし(祇園と丸太町にあるのは知っていたのよ)何代目かの一乗寺の下り松もあったわ。雲母漬けってご存知?」などと話してみると「歩くのはええなぁ! 色々見れて」「面白いものを見つけはったなぁ」という風に話が弾んで、ピクニック会が出来た。千二百年の智恵夫人たちにおだてられて、部外者の私がコースを決めて引率するというのだから!「あんたが一番知ってるさかい、それでいいのや」 かきつばたの時期だったので、確か最初の会が北大路から上賀茂神社、社家の通りを歩き、 |
大田神社、愛染倉、深泥池、円通寺、妙満寺と回ったのだと憶えている。五人のおばちゃんだものピーチクパーチク賑やかに歩き通して、円通寺などは皆感激。「こんなところからお山が見えるなんて…」 「比叡のお山といえば西賀茂の方の正伝寺も誰も居なくて、道は暗くて寂しいけれど、行ってしまえば素晴らしい景色が見られるのよ」なんて物知り顔をして「次また考えてや?」と、おだてに良く乗る東京者! その次には遠出して、大山崎山荘で建物と美術品を楽しみ優雅にお茶まで頂いて、「これもええなぁ、命の洗濯や」「あんたほんまにええとこよう知ってはるなぁ!」宝積寺から天王山まで足を伸ばせば、なかなかのハイキング、そこそこの森林浴。その次は仲間のお一人が随心院へ行きたいと案を出して、「勧修寺(かんしゅうじ)って言う |
| お寺 も近くにあるわね」「あれ、かしゅうじ言うんや」あの頃はバスでずいぶん遠かった記憶が残っている。私としてはこの有名な二つの寺など当然知っているものだと思い込んでいて、観光地は避けていたのに、思っていた以上に土地の人は自分の町を知らなかったのだ。 「ええとこやなぁ!」「梅の頃にまた来よな?」「勧修寺もよかったなぁ。睡蓮見れたし」と喜んでもらえたし、随心院に来た事はなくても、小野小町の歌や深草少将の話、かやの木の実の話などが弾むところなどはやっぱり京都の方々だと思わされて、私にも嬉しい体験。 京都の人はなんて幸せなんだろうと歩けば歩くほどうらやましさは募るばかりだ。 引っ越した次の日から私が口ずさんで頭に入れたように、「丸竹夷に押しお池…」と通りの名前を覚えてしまえばどこへでも行けるのだもの。千年余りも前から続くように。 どこの通りだろうと歩いてさえ居れば |
「本能寺跡」とか「狩野探幽寓居跡」と
か「花の御所跡」なん ていう石碑にぶち当たったり、この道入ってみようなんて思ってぶらっと入ったら、ガードマンに胡散臭げに眺められて、なにかと思えば「今日庵」「不審庵」が並んでいて「降嫁」などという死語がふと蘇ったりと、通り一本一本が発見に満ち溢れている。歴史の授業や時代小説などで知った人名、建物、地名が入れ替り立ち替り現れてくる豊かさは他の土地では得られない。「今日は室町通を歩けるだけ歩いてみよう」とか「油小路をずーっと下ってみよう」とかいう気分がそのままちょっとした冒険になる。「油の小路は何で途中からああなるんでしょう?」などと聞いてみたりすると、これがまた意外な話が返ってきたり。京で数代になる商家の奥さんは、「九条まで歩きはったの?」と驚いて子供の頃親に言われたという事を話してくれた。要は、駅より南に行っても、九条通りから下の人を店の中に入れてもいけない。 |
何通りから下の人は玄関先までや。どこそこの人は上がりに座らせていいがどこそこから向こうは座らせてはいけない、というような事だった。もっともそれを聞いていた別の人は後で、「しょうもない事を話して。今はそんなこと誰も言いひん。忘れてな」と言っていたが、それがお役所にやたらと立っている「同和問題」と書かれたのぼりが急に意識された瞬間だった。勿論東京を含めて、今までに住んだすべての土地にある問題なのだが、こんなに明瞭にあっけらかんと語られたのを聞いたのは初めての経験で、それは京都の歴史の紛れも無い一面を旅した瞬間でもあった。 美容院へ行けば行ったで、その近くにある九条ねぎを一杯使うことで有名な蕎麦屋さんの事を話題にすると、「うちはここではまだ新しくて、古いお店の話はようできんのやけれど…あこはほんに新しくて…」と言う。 |
| 「私も来たばかりだけれど、あなたはどのくらい京都に?」と聞くと「まだたったの二十五年にしか」と言う。たったの? 立派な京都弁だと思ったし、十分長く住んでいると私は思ったのだが、女主人はまだこの町の端くれにも置かれていないと言う。おまけに彼女の京都弁もまだ完全ではないので、直ぐ他所もんやいうことが分かってしまうのだと嘆くのだ。 それで思い出したのだけれど、プールで会う人たちはたいてい別れ際に「ほなさいなら」と言うので、うっかりつられて私も「ほなさいなら」と言ってしまったことがある。すぐさまお一人に「そんな気色の悪い。京都弁まねするのよしとき」と叱られてしまった。「家の嫁も東京の人で、来る度につられるんだものと言い訳して変な京都弁使うんや。けったいやで、東京弁にしときいうのや」 |
この美容師さんもさぞ言葉では苦労なさったことだろうなぁと、普段はとても優しく受け入れてくれるように見せかけ?る京都の底にあるなんともいえない塊のようなものをその時は感じたものだ。楽しくピクニックを重ね、昼食会を重ねてはいても「私もお別れする時までにどのくらい心の中に受け入れてもらえるのだろうか?」良く言えば京都人の底にある矜持でもあるのだろうか?
上御霊神社のお祭りの時に「お宅は上ごりょんさんの神輿が通るやろ?」「住んだ所がその氏子になるとわかったので、引越し荷物を解いて直ぐにご挨拶に行って来たの」と言ったら、「心がけがよろしなぁ」と北野さんの芋茎祭りに呼んで頂いたり、「お雛様の日に十二単の着付けをするんや、見においでぇ」と、誘って頂いたのは市比売神社だったかしら? |
また初恵比寿にはえびす神社へ行って「福笹を買うて帰るんや」と教えてもらったり、千本釈迦堂の「だいこ炊き」へ連れて行ってもらってご近所の方々に紹介されながらふうふう大根を食べたり。小さな楽しいお付き合いも挟まって、ますますピクニックの会は好調!「幾らでも幹事ひきうけまひょ!」伏見稲荷の奥宮まで頑張って回った後に「ちょっとマニアックやな?」と言いながら石峰寺の五百羅漢さんを丁寧に見てまわって「へぇーこんな楽しいお寺が…」「この羅漢さんによう似た人いてるえ」なんてはしゃいで、さらに宝塔寺まで足を伸ばして「京都は面白いなぁ!」と言う言葉を引き出した時の喜びとも快感とも言うべき瞬間。 このピクニックなどは何回目だったろうか? その中でも京都滞在体験のぴか一は、室町に蔵の立ち並ぶ商家六代目夫人。「家は古くて昔のまま |
| にしてあるさかい、しょっちゅう保存にしてもらわはったらと言われるのえ。一度見に来はったら」と何度も誘って頂いてはいたけれど、京都人のお愛想って有名な話を聞いているから「ありがとうございます。機会がありましたら」と、ご遠慮していたのだが、「展覧会のチケットもろてくれはりますか? 私はご一緒できないのやけど、いつやったらお渡しできるやろか?」と電話を頂いて、「私明日お宅の前を大丸まで行く用事が有るのでお差し支えなかったらお寄りしてお玄関先でいただきますが」とお返事したら「あー、それは助かるわ。ほな明日の二時にお待ちしています。一度見てもらいたいと思っていたし」とまで言ってくれた。どうやら本当に伺っていいんだ…と思っていたら、翌朝電話がかかってきて「昨日ついでがあったので郵便でお出ししました。 わざわざご迷惑をかけないでも済むわ。皆さんの分も同封しましたから皆さんでいらしてください」やっぱり少し早まったかな? | 「フーム、これが京都だ! やっぱり異国!」となんだか感激。 その後お預かりしたチケットで皆さんと美術館へ行った時にこんな事情で送って頂きましたと経緯をお話したらやっぱり西陣の方が「あんた、京都人は! って思ったやろ?」と、鋭い!「あの人はああなんや。京都人かて皆がそんな風じゃないえ。私はおいで言ったらそのままおいでや」と、「今度の北野さんの日に必ずうちにおいで。約束やで、これはぶぶ漬けとはちゃいます。西陣の貧乏人の子沢山の友達一杯紹介したる」と彼女は大笑い。当日の朝には念の電話まで入れて頂いた。「はて、どないしたもんやろ?」と恐る恐る出かけたら、 お昼食まで頂き、「同級生や!」言うおばちゃんおじちゃんに囲まれて賑やかな一日となった。次にプールで室町の奥様にお会いした時も彼女は全くいつもと変わりはなく「後でお昼食べてこなぁ?」「京は奥深!」 |
転勤が決まった時は大騒ぎして送別会もして頂いたが、とうとうあの中庭や通り庭のある高い天井の寒いお台所の蔵まで並ぶ京の商家は見損なったまま! 手紙もメールになり、時は移ったが行けば集まってくださるし、思い出の香りは優しい。が、謎を多く残したまま立ち去る旅ほど印象強く面白い旅は無い。 地方で知り合ったその土地の人とは訪れればまた旧交を温められるが、転勤先で出会った転勤人の友人たちは常に地方を移動しているので、どこかで会おうという話になった時は、お互いの知らない所へと思うと結局最近は「外国へ」になってしまったりする。しかし時間の出来た今、心はこの国の中にある「異国」をもっと知りたいという気持ちに駆られている。 |
| 転勤族は旅という大渦の魔力に捕らわれてしまうのか。どういう旅を選ぶにしても知るということはそれだけで本当に楽しいことだ。古巣へ戻った私には探検し、知らなかったものを知ろうという意欲が生まれてきている。変貌を続ける東京は私にとって異国であり続けている。何しろ東京は町の名前さえ変わってしまっていて、自分の生まれ育った町の名ももう今は無いのだ。だからこそ京と比べてつまらないと言えばつまらないこの町も、永遠に旅の対象であり得るのだ。私は永遠の流浪者、時空の旅人になったのだとロマンチックにも思い、旅慣れただけと笑ってもみる。しかし、西陣に「同級生や」と言う仲間がわーっと集まってきた時に感じた羨ましさは望むべくもない。鴨川や宇治川の流れは変化してはいても絶える事もなく、その岸辺に立てば古の情感を風に感じられる。 | 東京生まれの転勤族は老後もし故郷に戻ったとしても美しい苔が付くには遅過ぎるのかもしれ ない。それにこの街はコケを拒んでいるようにも見える。それでも私は隅田川の岸辺で故郷の情緒を拾い上げる旅人になりたい。転勤者とその家族は言ってみれば長期滞在型の旅行者で、訪れた町を心から楽しみ、愛情を抱いて立ち去る理想の客人だ。しかも去った後もほぼ永遠に懐かしさという風味を抱いた言葉で宣伝を続けてくれ、そして場合によってはその町の人をも刺激してくれる理想の観光課要員でもある。友達がいるのでリピーターにもなれる私は様々な町で素晴らしい旅をさせてもらったし、これからもと感謝している。しかし今は転勤者でなくなっても人はその故郷で長期滞在の旅行者でいられると知った。土地、人、歴史、思い出、あらゆるものへの縁の深まりこそが旅の醍醐味! |
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