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「一路平安」=お気をつけて
三宮に向かう私を見送るカズ |
1. ドアが閉まり、バスはゆっくりと夜の明治通りへとすペり出た。私に向かって手を振っているカズの姿が、ガラス窓越しにさつと後ろへ流れていき、あっという間に、闇の中においてきぼりになった。
渋谷発三宮行きの高速深夜バスは、夫のカズといつも乗っている都バス「池86系統」の渋谷バス停のすぐ近くから出発した。見慣れた夜景をながめながら、きつとこのバスに乗っている人たちは関西にある自分の家へ帰る人が多いのだろうなと思った。私も家に帰ろうとしている。でも、その家はここから約4000km先にある。私はこの東京のど真ん中から中国西北地方の農村まで、バスと船と列車を乗り継いで帰ろうとしていた。
私は4年前、21歳のとき、ひとまわり年上の日本人の夫・カズと結婚して日本にやってきた。もともとはペンフレンドだった彼が、中国に留学してしょっちゅう会うようになり、そういうことになったというのが簡単ないきさつだ。
私のビザがおり、はじめて中国国外へ出ようとするとき、カズは「ゆっくり中国にサヨナラできるように船で日本に行こう」と提案した。私たち2人は、中国西北部にある私の実家から列車を乗り継いで上海まで行き、さらに上海から神戸まで船に乗り、神戸から新幹線で東京に向かったのだった。
それから早くも4年が過ぎた。もちろん、その間に里帰りは何回もしている。私の最速の里帰りルートはこうだ。午前中の国際線でまず北京へ飛び、午後の国内線に乗り継ぎ、甘粛省の省郁・蘭州に夜8時すぎに着く。それから蘭州駅から10時過ぎに発車する夜行列車に飛び乗る。列車はシルクロードのメインルートとして有名な河西回廊を一夜かけてゆっくりと進み、翌日の太陽が真上にくる頃に私は故郷の駅である張掖のホームに降り立つ。張掖はマルコ・ポーロが1年間滞在したことのある、シルクロードの大きなオアシス都市だ。こうしてようやくたどり着く私の実家は、張掖市内からバスで一時間ほど走った郊外の小さな農村にある。
この最速の方法にしたって1日半かかるのに、今回はなぜしょっぱなからバスなのか。それは私が写真を勉強しはじめたことにあった。
私は何を撮りたいという明確な目的も見つからないままに、日本の風景や人物を撮り、中国に帰ったときは村の風景や人々を撮った。私にとって日本と中国の写真は、まったく関係のないものだった。でも、4年前に右も左もわからないまま来日したときのことを思い出してみると、砂漠から緑へ、大海原からビルの街へと風景は変わっていったけれど、故郷の駅から東京駅はずっとつながっていたように思えた。私はいつもは飛び越えてしまっている距離と時間の中に、なにがあるのかを撮ってみたくなったのだ。
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「新時代的遣唐使」
中国へ向かう船の中では夜更けまで
旅人たちの笑い声が絶えない |
2. 東京の高速を走っていたのを最後に、目をあけたら三宮に着いていた。
ポートライナーに乗って「ポートターミナル」駅で下車。いよいよ日中間を結ぶ国際フェリー「新鑑真号」と4年ぶりの対面だ。私は自分のパスポートをパラパラとめくった。いくつも押された出入国のスタンプの中に忘れられないひとつがある。それが初入国の際に押された神戸港のスタンプだ。このスタンプを見ると、入念にパスポートをチェックする入国管理の男性の顔と、そのゲートの向こうで心配そうにこちらを見ていたカズを思い出す。
新鑑真号は大阪・神戸と上海を2泊3日で結ぶ。日本を午後1時頃出航して3日日の朝には上海港に着く。私が予約したのは2等和室、つまり広間にザコ寝の船室だ。さすがに夏休みシーズンだけあって、乗客は若い日本人の個人旅行者が多い。中国人はおなじ2等でも2段ベッド8人部屋の「2等洋室」を選ぶようだ。
船が出航し大海原に出ると、乗客たちは甲板に出て記念撮影をしたり、テレビのある休憩フロアでくつろいだり、部屋で昼寝をするなど、各自ヒマを楽しみはじめる。見知らぬ者同士が「中国ではどこへ行く予定ですか」という旅の話で盛り上がり、なかには中国旅行のベテランらしき旅行者がいて、そのまわりでは中国初体験の人たちが目をキラキラ輝かせて話を聞いている。
私も同じ2等和室で1人でいた日本人女性と親しくなった。彼女は東京の人で30歳。見た目は子供っぽいくらい若く、まじめそうな印象を受けた。話をしていくうちに彼女は中国人の恋人がいて、その彼の実家に行く旅だということを知った。
「最近知ったんだけど彼は密入国者なの。でも別に悪いことしていると思えないし、やさしいし結婚も考えている。それで彼の家族に一度会ってみたくて福建に行くのよ」
私はすぐに「気をつけたほうがいいよ。騙されているかもしれないよ」とハッキリ言った。彼と同じ中国人からの意見だからなのだろうか、彼女は怒りもせず、
「自分もわからない。彼の家庭を見てなにか感じられるかもしれないから」と、悲しげに微笑んだ。
彼女に中国の生活のことなどを話していると、どうみても50は越えていると思えるおじさんが話に入ってきた。ボサボサの白髪頭で、Tシャツと短いズボンの身なりもさることながら、話し方も若い。私が日本人と結婚していると聞くと、身を乗り出して「どういう手続きだった?」とたずねてきた。彼もまた、以前中国旅行の際に知り合った上海女性と結婚するつもりで、とにかく向こうに行ってみるのだという。カズから聞いていた手続き関係のことをうろ覚えながら話すと、おじさんはメモをとりながら「やべえ、そんな書類持ってきてねえや。こりや、また行くことになるな」と苦い顔で笑った。すると、横でそれまで静かにしていた学生らしい男の子が「たいへんですね、僕もアモイに彼女がいるんです」と話の輪に加わってきた。
私は、(いったいどうしてこの船にはこんな人たちが集まっているの?)という不思議な思いをいだきつつ、日本ではあまり会うことのないタイプの日本人たちと話す楽しさに退屈を感じることもなく、2晩を海の上で過ごしたのだった。
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「火車里的中国」=列車の中の中国
中国の列車は常に満席。
昼間、ベッドの下段は人でいっぱい
になり、話に花が咲く |
3. 新鑑真号は3日目の朝、上海の運河である黄浦江をゆったりと航行してゆく。乗客のほとんどが甲板に出て、船前方に広がるオールド上海のビル群、つまりバンドを背景に写真を撮っている。中国に着いたという実感がみんなの表情にあらわれている。
上海港に船が横付けされ、甲板から眼下の波止場で働く人々を見ていると、6年前、この波止場に自分が立ち、留学を終えて日本へ帰るカズを見送ったことを思い出す。そして4年前はここから2人で日本へ出航した。私の人生にとってここは接点のような場所になつている。
船を下りると日本人たちはホテルに向かっていったようだが、私にとっては旅はようやく半分といったところで、休んではいられない。この中国東南部の大都会から甘粛省の張掖までは列車で40時間あまり。ふつう、当日の寝台券は入手困難だが、幸運にも船の中で知り合った中国人家族4人が、私が同じ列車に乗ることを知り、チケットを1枚ゆずってくれた。奥さんが子供と一緒に寝るからいいというのだ。彼らは日本で中華料理店を経営しているとのことで、甘粛省東部の省都・蘭州へ一時里帰りするということだ。蘭州までは上海から30時間ほどで着く。
私が乗った列車は上海発ウルムチ行きという中国でもっとも長い距離を走る列車で、新彊ウイグル自治区の省都ウルムチまでは約60時間。夜8時頃の出発なので終点までは3泊4日を列車の中で過ごすことになる。
騒然とした上海駅ホームから重苦しく身を動かした全身緑色の列車は、さながら黄土をうねりながら進む青龍といえばかっこいいが、その中では「龍の子孫」たちのノンビリとした、かつ騒がしき共同生活が始まるのだ。とにかくアカの他人同士が長年の友人かのように、家庭問題など立ち入ったことまでえんえんとしゃべりまくる。このおしゃペりと惰眠の適度な組み合わせが、長時間の列車の旅を快適に(?)過ごす方法だ。
しかし、そのおしゃべりが、時には煩わしいものになる。今回がまさにそうだった。中国の寝台車の多くは3段ベッドが向かい合わせになっている。つまり6人が一緒になっているわけだが、前述のとおり私は蘭州までの家族4人と一緒で、あとの2つのベッドはどうみても成金のおじさんと愛人のカップルだった。中国では商売で一山あてた成金社長が出張と称して愛人とバカンスを楽しむことが多いが、その典型的パターンともいえる雰囲気を漂わせていた。
その成金おじさん(彼には悪いけどこう呼ばせていただく)と4人家族の旦那さんがおしゃべりをはじめたのがまずかった。奥さんは素朴でいい感じの人なのだが、旦那さんはちょつと傲慢ぽい、クセのある人だった。こういう男同士の話のなりゆきは決まってくる。まずは旦那さんが成金おじさんの指に光る巨大な金の指輪を見て言った。
「いったい、いつの時代の趣味だよそりや。いまはオレの女房がしてるようなのがカッコイイんだ」と、奥さんのしている小さなダイヤの指輪を指さした。これに成金おじさんはそうとうカチンときたらしく、自分の商売の成功など、いかに,自分が金持ちかを自慢し始めた。それに対して旦那さんのほうも自分が「国際派」であることを最大にアピール。日本での外国人登録証をとりだし、「見ろ、オレは日本の永住ビザをもらってんだ」と言ったかと思うと、サイフまで広げて100ドル札や1万円札を成金おじさんの前でパラパラとめくった。私は横で見ていて、(どうしていつも中国人は、こんなくだらない見栄の張り合いに懸命になるんだろう)とうんざりしていた。しかし、その私の憂鬱も、成金おじさんのひとことで怒りに変わった。
「おまえらの甘粛なんて砂漠ばっかりで、なんにもない貧乏地帯じゃねえか。オレたち南の人間が稼いだ金の税金で食わしてやってんだからな!」
西北部の私たちは中国の中でもしょっちゅう田舎者扱いされる。だから故郷をバカに されると無性に腹が立つのだ。
成金おじさんの私たちへの侮辱に、旦那さんよりも早く私が声をあげてしまった。
「そんなに甘粛がいやなら甘粛を通るな!金持ちならわざわざ列車なんか乗らないで飛行機で甘粛を飛び越えてウルムチヘ行きゃいいじゃないの!」
私の言い方がきつかったのだろうか、成金おじさんは手に持っていたゆでタマゴを飛び散るほどの勢いで床にたたきつけ、「フンッ!」と言って横を向いてしまった。
「やめなさいよお、あなた、そんなに怒ったら身体に毒よ」
愛人(これも勝手に呼ばせていただく)が、口元に笑みを浮かペながら、ねっとりとした口調でおじさんをなだめた。こうして「自慢戦争」は終わったけれど、それから私たちと成金カップルはほとんど言葉を交わさず、互いの存在がないかのように食ペ、眠り、列車の中のゆるやかな時を過ごしていった。
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「長城脚下」=万里の長城の下で
列車の窓越しに明大代の長城を撮影。
河西回廊には風化するにまかせた
長城が続く。 その烽火台の下に
民家が建っている |
4. 上海を出た頃は田園風景だった車窓の景色が、3日目の朝を迎えると、はげ山の続く茫漠とした黄土の大地に変わっていた。はじめてこの風景を見る人はもの悲しさを覚えるかもしれないけれど、私にとっては生まれ育った愛しい土の香りがする。
正午頃、列車は張掖に到着した。改札を出て、だだっぴろい駅待合室に入ったとき、そこには赤黒く焼けた父のやさしい笑顔が待っていた。上海から乗る列車を電話で伝えてあったので、駅まで迎えに来てくれたのだ。父は、兄の4歳になる娘と、同じくらいの歳の親戚の娘を連れていた。父は苦笑して言った。
「お前が出てきてくれてよかったよ。駅員に人さらいじゃないかって疑われてたんだ」
見ると、父から少し離れたところで、駅員がバツの悪そうな顔をして立っていた。2人の様子に、私は声をあげて笑ってしまった。
私たちはタクシーに乗り、実家への道を急いだ。車は、カズがかつて「北海道みたいだな」とつぶやいたポプラ並木の中を走る。その横を流れる、私たちの村に恵みを与えてくれる河のきらめきが、私の長旅の疲れをいやしてくれる。
村の中に車が入っていき、家の近くまでくると、エンジン音に気がついた家族が門から出てきた。お母さん、おばあちやん、お兄さん、お兄さんの奥さん、みんなの顔が私を待っている。車が門の前に止まり、ドアをお兄さんが開けてくれたとき、私の渋谷からの旅は終わった。カズに見送られてから1週間が経っていた。
東京から故郷までの間には、いろんな日本人や中国人がいた。これからのち、飛行機でこの道の上を飛び越えていってしまうことが多いと思うけれど、きつと新鑑真号や列車の中で出会った人たちのその後を、私の人生の思い出と重ね合わせながら、楽しく想像することができるだろう。
そしてこの道の両端では、いつももっとも身近な人たちが私を見送り、迎えてくれる。中国と日本を結ぶこの長い道は、これからも私の心の中に、いつも心地よく横たわっているにちがいない。
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「全家福」=一家円満
実家で家族そろって記念撮影。 後列左端 が筆者。 |
著者プロフィール
1975年生まれ、東京都在住。喫茶店経営
http://www.wada-denkido.co.jp/yingying/
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